「花野」イタリア演奏旅行 その2
●演奏後、観光した所(まるで弾丸旅行のようでした・・・)
ローマ→アッシジ→シエナ→フィレンツェ→ルッカ→ピサ→ヴェニス→ミラノ
ローマ
サン・ピエトロ大聖堂
サンピエトロ寺院内のミケランジェロ作『ピエタ』像(1499 25歳)
サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所があったところに建立されたとされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇り、315年より120年の歳月をかけて完成されました。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、国全体が『バチカン市国』として世界遺産に登録されています
私たちはヴァチカン博物館・システィーナ礼拝堂・サンピエトロ大聖堂とガイドさんの説明をイヤホンで聞きながら(今年から大声のガイドは禁止)ゆっくり見て回りました。
「ピエタ像」を眺めているとスターバト・マーテルの曲が流れてくるような迫力を感じました。
システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロの『最後の審判』(1541)
フォロ・ロマーナ 紀元前509年から焼く500年続いた古代ローマ帝国の政治、経済、文化の中心地。歴代皇帝が権力を誇示するために建てた遺跡群は見応えがあります。現在も発掘が続いています
トレヴィの泉 古代ローマ時代に皇帝アウグストゥスが作らせたヴェルジネ水道の終端施設の泉でした。後にローマの建築家ニッコロ・サルヴィの設計で改造、ポーリ宮殿の壁と一体となったデザインで、中央に水を司るネプトゥヌスポセイドーン)が立ち、左に豊饒の女神ケレスデメテル)、右に健康の女神サルース(ヒュギエイア)が配置されています1762年に完成。
コロッセオ コロッセオは、ヴェスパシアヌス帝が紀元72年に着工した円形競技場。常に剣闘士たちの血なまぐさい格闘がおこなわれ地下6メートルの迷路のような空間には、檻に入れたライオンやヒョウなどの猛獣が飼われていました。観客席は身分によって分けられ、一階席は元老院と議員、二階席は騎士、その上が市民、最上階は市民権を持たない人のものでした。これは、人々に身分制度を意識させて帝国の秩序を保つ、皇帝の巧みな統治術でした。
アッピア街道 「全ての道はローマに通ず」この語源の元になった先駆的道が、市外を南に延びるアッピア街道。開通は紀元前312年、帝政期にイタリア南部の街ブリンディシまでの長い道が築かれ、この道を通じて、古代ギリシアの成熟した文化がローマに運ばれ、永遠の都の基礎を築く絢爛たる文化が栄えることとなります。また旧市街に墓を作る事が禁止された時代、死者達はこの街道沿いのカタコンベ(地下墓地)に埋葬され、今も古代の墓地が多く残り公開されています。  私たちは古代ローマの石畳を踏みしめ、数多く残る遺跡を横に眺めながら1時間余り歩き続けました。     

フィレンツェ 世界遺産

ルネッサンス発祥の地フィレンツェは芸術家たちが築き上げた華麗で美しい都。高さ106mのフィレンツェのシンボル「花の聖母教会」、ウフィッツィ美術館など訪れました

(下左絵「ヴィーナス誕生」、下中央絵「春」、下右「ポンテ・ヴェッキョ」)

   

ウフィッツィ美術館から見えるフィレンツェで最も古い橋ポンテヴェッキョ、イタリア語でPonteは橋、Vecchioは古いという意味(1345年に完成)。特徴は、なんといっても「家付き橋」であり金銀細工の店がたくさん建ち並んでいます。「O mio babbino caro」の歌詞の中にアルノ川と共に出てきます。
〔トスカーナ地方〕
シエナ 世界遺産


トスカーナの田園風景のなかに、浮かび上がるように現れる世界遺産の街、シエナ。歴史は、フィレンツェより古く、メディチ家の傘下に入るまではトスカーナの都でした。3つの丘に広がるシエナの町は城壁で囲まれ、中心には貝殻型をした世界一美しい広場といわれる「カンポ広場」があります赤レンガの狭い町並みからカンポ広場へ通じる道は丁度劇場の狭い入り口から広い舞台へ続く通路のようです。
“城壁の町”ルッカ
 
ルッカは自慢の城壁に囲まれた町。現在の城壁は14世紀から15世紀にかけて再建設されたものですがこんなに完全な形で残っている例はイタリアでも数少ない。もとローマ劇場が、現在はアンフィテアトロ Anfiteatro(円形劇場)と呼ばれる広場になっています。広場に入って視線を空に向けると、360度ぐるりを建物が取り巻く風景がとても印象的。円形劇場だった部分を基礎に、中世になって建物が建てられ、現在は1階部分がショップ、2階から上は普通の住居になっているようです

またプッチーニの生家があることでも有名で、今年2008年・生誕150年記念のイベントで町じゅうに活気があふれていました。
 
ピサ 世界遺産
 

ピサ・ロマネスク様式の最高傑作といわれるドウオモ。このドゥオモを中心とする広場は「奇跡の広場」とも呼ばれており、広場に立つ斜塔や洗礼堂、カンポサントは11-14世紀にかけてイタリアの建築に大きな影響を与えました。白大理石の207本の列柱を持つ8層の斜塔は1173年着工ですが工事途中から傾きだし、2001年から人数制限つきで再度のぼれるようになりました
私たちは夕方に到着。予約いっぱいで斜塔には入れませんでしたが、夕日を浴びた斜塔の姿が大変美しかったです。

ヴェネツィア 世界遺産

「アドリア海の女王」とその美しさを讃えられたヴェネツィアは、かっては地中海貿易の拠点であり、世界の文化・芸術の中心として栄え、アドリア海の最も奥まった所にある潟(ラグーナ)の上に形成された水の都です。
サン・マルコ大聖堂を中心にドゥカーレ宮殿(総督宮)、貴族の館、寺院、大学、嗜眠の住居などが大小の運河に区切られて密集しているヴェネツィアは、車は一台もなく、運河を行き交うゴンドラとヴァポレットと呼ばれる水上バスやモーターボート(水上タクシー)が市民の足となっています。現在、水没の危機を抱えながらも中世そのままの姿をとどめ、私たちを魅了し続けています。
私たちは流暢な日本語を話す現地のガイドさんの案内でヴェネツイァの街の歴史を肌で感じて、ゴンドラの旅を楽しみました。
↓ 写真左から ゴンドラ風景・大運河・サンマルコ広場・サンマルコ寺院

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